最近よくマスコミを賑わす言葉に、長野県知事の田中さんをはじめ、さまざまな候補者が使われている「市民派」という言葉があります。そして「既成政党の推薦・支持は受けない」という言葉もよく耳にします。
私はおかしい!と疑問に思います。「市民派」とは何か?何をもって「市民派」といえるのか?それでは、政党を支持する人達や、政党の党員と言った人たちは市民ではないのでしょうか?私自身は、社会党公認で町議会議員に初当選し、現在の肩書きも民主党北海道第5区総支部石狩支部支部長であり、政党政治の中にいます。
民主党のなかでも、さまざまな主義主張があり、多くの意見が収斂されて党の方針となります。地方議会(石狩よりもっと規模の大きい自治体)や、中央政治の場では、違う主義主張の政党が、議会の場で意見をたたかわせ収斂されて自治体や、国の方針となります。こういった、政党の本来の機能がいかされていないだけではないかと思います。
党とはいったいなんだろう?私の考えは、まず主義主張、政治信条などの同じ意見・考えの人達が集まって出来たのが、政党の始まりではないかと思います。
確かに、自民党をはじめとする政治家の不正といったものが、政党に対する不信感に変わり、現在の市民派候補が乱立するという状況を招いていますが、政党とは市民の意見を収斂する場であり、組織であると考えます。その使命は重要であり、失われてはいけないと考えます。その様な意味では、石狩市議会はもしかしたら政党政治は似合わない小規模な自治体の議会かもしれませんが、あえてそのなかでも政党に属する議員として活動しています。
「市民派議員」と言うと「改革の旗手」のイメージがあるが、地域の利害または、市民個々の利害がからんでくると、単なる「理想論者」になってしまう恐れがある。市民派を標榜する一部の政治家は、誰の意見を市民の意見として反映するのか?私は今、疑問に思っています。個々の市民の意見を採り入れた場合、自分の嗜好に合った意見を選択してしまう危険性があるからです。議員というのは、市民の代弁者であるのと共に、自分の主張もあるので、そういった偏った意見を反映させてしまう危険もはらんでいることを、皆さんが認識しなければならないと思います。
55年体制の崩壊で目に見える対立軸は失われつつありますが、たとえば反戦・平和といった命題や、憲法を護るといった主張が命を失ったとは私自身は考えていません。また、労働者や生活者といった弱い立場にある人たちの声を、地域あるいは国政に生かすために、私は、今民主党という政党に籍をおいて、活動していくのが最善の使命と考えています。